ayU 10th

#11 タムラケンジ (hamonstudio, Qmonos)

My Room

恋する団地

犬にしても

狐の嫁入り

はじまりは今

 

 

犬が寝ているときも

君が塞いでいるときも

ayU tokiO楽団はテレポーテーションを繰り返し

21世紀の音を奏でつづける

 

Tokyoの北・南・そして西

深さを変えながら 響きを変えながら

 

旅はまだ途中 はじまりは今

次に見せてくれる景色を楽しみにしながら

透明なハーモニーの向こうに揺れてひろがる波紋をただ見る瞬間を

ありがとう

 

タムラケンジ

 

 

—–

 

 

ケンジさんはハモンスタジオをやっていた人でayU tokiOとしての超絶恩人の一人。

そもそもは至高の国産インディギターポップバンド「totos」のメンバー。

自分が一番好きなバンドです。

 

ayU tokiOでもカバーしたり(new solution 4のソノシートチケットに収録「pink sunday」)してます。この曲も宇宙一好きな曲の一つ。チープなシンセ音でのリフメロはケンジさんによるもの。rolandのrs70くらいのシンセの音と思われます。

 

史上最多再生回数は自分だと思うくらいのtotosの超絶コアファンであった自分がケンジさんのもとで世話になることになり、ハモンスタジオでの話は数え切れないほどある。なんせ毎日いたから。

 

 

2010年の年末、実家から出て吉祥寺で暮らし始める頃、お世話になっていた楽器修理の工房も出ました。

ここでは楽器のリペアの技術を教わったわけではなく(リペア技術的なものは別に師匠がいます。)、仕事の仕方というか姿勢というか、そんなものをたくさん学びました。本当にお世話になった。

 

雇われてたわけでなく、常駐してるわけでもなく、お店の仕事を受けるわけでもなく、

部屋に自分の机を置かせてもらってショップを間借りしている様な形でした。

ちなみにこの時からの僕の楽器修理の屋号は「ayu tone」と言います。

guya toneが好きだったから、グヤさんの名前を変えて、「ayu tone」です。シンプル。

 

この時期の僕のお客さんには銀杏BOYZの中村さん(チン中村)、riddim saunter(現KONCOS)のヒロシさん、twee girls clubのスミレちゃんなど、その後の自分の音楽活動の基礎になった様な人たちも大勢いて、先日話したようにchefのシモリョーさんがケーキを持って会いに来てくれたのもこの場所。

 

僕はここの主人が大好きで、今でもここの修理の下請けで楽器のリペアだけは特別に受けたりもする(今は下請けの仕事は基本的に受け付けてません。)

その頃の僕はMAHOΩとthe chef cooks meの活動が活発になってきていて、バタバタ出たり入ったりする日も増えてました。

もちろん収入源として、人生とともにあるイメージのリペア仕事なわけだからおざなりにはするつもりもなく、それは今でも変わらないことなのですが、このリペアショップの主人としては、

「一つのことをやっている奴にはかなわない」ということだったのです。

 

 

主人は「最近猪爪君は音楽がやりたそうだから、ここを出て音楽やりなさい」と言いました。

 

プロでギタリストをしていたこともある人だから、思うところがあったんだと思います。

それでも自分はどちらも合わせて活動を続けることの意味を信じていたし、同じ理解をしてもらえないことをとても残念に思いましたが、何よりももっと長くその場所にいたかったからとてもお別れするのが単純に悲しかった。

 

 

ちょうどこの頃、ケンジさんと出会い、スタジオライブに誘われ、このとき初めてハモンスタジオに行き、生まれて初めて人前で一人で弾き語りをしました。

この時の名義はayu inotsumeだった気がする。

それかayu-tokyoだったか。

急ごしらえのものをいつまでも手を入れて使い続けるのは子供の頃からの癖ですが、ayU tokiOという名前も実は同じような感じで、このときに生まれたものです。

 

スタジオの上に明らかに死んでいる部屋があって、「リペアにちょうど良さそうな空間だな」と思いました。

その時の自分の状況を話すと、ケンジさんが僕を受け入れてくれることになったわけです。

感謝。

 

引っ越し続きで六軟骨を痛めたりしました。レコードは危ない。

六軟骨は痛めると熱が出ます。

 

ayU tokiOのストリングス+フルート入れての初ライブは2013年の正月、早稲田のゾーンビーにて ですが、この時の僕は胸にコルセットを巻いていてめっちゃ苦しそうよ。コルセットしてると息吸えないんだ。

 

 

荷物を車に積み込んでハモンスタジオに引っ越す日、

リペアショップの主人が「負けるなよ」と言って送り出してくれたので、僕は多分他のリペアマンに簡単には負けないです。

そういう「良い」言葉を日常的に話す人で、そういうところが大好きだった。

「良い」のはすごく大事なことだと思います。

 

ちなみに、この時の僕の乗っていた車はダイハツのミゼット2ってやつ。空色って感じの青。

これはpoltaを一緒にやってたシュウくんのお下がりで、最高だった。

シェフのライブで自分としては初めて(その後もないけど)ゼップダイバーシティでライブした時に機材車として裏手から入ったら、ブラッドサースティブッチャーズの吉村さんが酒瓶を片手に「こんな車で来て、なめてんのか」って言って来て震えあがりました。その後すぐにこーっと笑って、それもわけわからなかった。

 

 

ということで芋づる式にまた思い出話になった。

 

そんな感じでドタバタの時期を精神的にも経済的にも支えてくれまくっていたケンジさんの音楽作品を今プロデューサーとして作ってます。

オルタナといえばなんでもオルタナ。ケンジさんの鼻歌は「良い」です。

 

おじさんになっても1stアルバムはやる気で作れる。

この時代、テクノロジーは時間とともに可能性を増やす。

 

10年してわかりました。「二足のわらじ」というものがあります。

 

 

 

プレイリストの「はじまりは今」はケンジさんの結婚パーティーの時ayU tokiOでカバーして奥さんに歌ってもらったエレカシの曲なのですが、この時のゆうなさんは本当に可愛らしかった。

 

その後、ケンジさんも自分のバンドで同曲をロックにプレイ。

ベロベロによぱらって袴でロックにプレイ。

「ニュースに出て来る新成人のようだ」と思いました。

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